こんにちはー、ヒーラーの大澤です。
さて、前々回で【「どんなネガティブな状況の中にも必ずポジティブな要素は含まれている」とスピリチュアルでは考えます。】というお話をさせて頂きました。
さて、昨今のコロナの自粛要請の影響で、現実逃避したくても出来ない方々もいらっしゃるのではないでしょうか。
今日はそんな方々の気が少しでも紛れればと思い、スピリチュアルなお話の中でも割とファンタジーよりなものをご紹介したいと思います。
具体的に言うと『龍』や『天使』についてのお話で「そういうのって本当にいるの?スピリチュアル的にはどうなん?」ってことです。
ちょっとフワフワ系の話なので、話半分で聞いて下さいね。笑
えっと、結論からお話します。
スピリチュアルではそういう存在を認めています。ただ、絵画や水墨画に出てくるようなのとはちょっと違います。
どういうことか、ご説明しますね。
この龍とか天使ってのは、いわゆる【自然霊】と言われる類のもので、この世に姿を持った事がない霊のことを言います。
精霊、稲荷、天狗、龍神、観音、天使etc…ありとあらゆる種類がいて、さらにその中で霊格が低いのがいたり高いのがいたりします。
ちなみに龍だから霊格が高いということでもないですし、お稲荷さんだから霊格が低いということもないです。
基本的には海や山などの自然に宿っているのですが、時に守護霊のうちのひとりになって人間のサポート役に回ることもあります。
昔の人は無意識に彼らのエネルギーを感じたことから、これを『八百万の神』として祀ってますよね。
自然界に宿ったり守護霊になったりするのが役割なので、人間の意図によってくっつけたり外したりということは出来ません。
彼らには彼らの学びがあって存在しているし、守護霊の内のひとりになってくれたとしても、それはその方の霊的成長の為だからです。
決して金運、恋愛運、勝負運、仕事運etc…のような物質的価値観や社会的ステータスを満たす為に存在しているわけではありません。
興味があるのは人々の幸せと霊的成長のみで、霊格が高ければ高い程その傾向が強いようです。
何らかの形でメッセージを送ったとしても、自分を大きく見せて崇めさせたりはしませんし、変に夢を見せて期待させるようなこともしません。
『私が何者であるかはどうでもいいことです』とか『どうぞ納得するまで私を疑ってください』という具合に、言葉の節々に深い愛情と知性を感じます。
霊格が低いものの見分け方は簡単で、キレイにこの逆をやってます。
偉大なものとして自己紹介してきたり、社会的ステータスにこだわったり、夢のある大きいことを言ってきます。
霊格の高低に関わらず、自然霊は実態のないただのエネルギー体なので
世間一般的に言われる「大きい牙と角があって…」とか「頭に輪があって羽が生えてて…」というものではありません。
「でも実際に姿を見てる人もいるじゃない??」という話になりますが、これはそういう姿で現れた方が分かりやすいし、信じてもらいやすいからそうしてるんですね。
この手のお話は怖がる方もいらっしゃるのですが、普通に日常生活を送っていれば何も恐れる必要ありませんのでご安心ください♪
それではまた後ほど~(^^)/