こんにちはー、ヒーラーの大澤です。
前回は【スピリチュアルが最終的にこれが言いたいであろうことを、臼井式レイキの『レイキ法』『五戒』の中に感じる】というお話でした。
これまで385では『こういう風に生きていきましょうよ』という記事はちょくちょく書かせていただきました。
・『スピリチュアルを知れば知るほどリアリストにならないと辻褄が合わない』
・『自分のことは他人のことのように、他人のことは自分のことのように扱う』
・『理性で生きてツラくなるくらいなら、まずはしっかり感情に寄り添おう』
などなど
色々書かせてはいただきましたが「あれ?これらの話って共通のテーマにまとめることが出来るんじゃない?」と思ったんですね。
そして「それこそがスピリチュアル的な生き方じゃないか?」と感じたので、今回はそれについて書いていきます。
ではでは、早速結論からお話していくと…
スピリチュアルな生き方というのは『中庸』を目指していくことなんじゃないか?ということです!
中庸とは「極端にならない」「中間くらい」という意味合いの言葉なんですが、何故そう思ったのかというと
例えば、スピリチュアル的に良しとされているポジティブになろうとした場合、それが良いことだって腹落ちしていないと心って固くなっていきます。
そうするとどうなるか?
波長は下がっていきます。
本当はムカついてるのに「ムカついてたら波長が下がっちゃう」「私がそんなの気にしてるわけない」って見て見ぬ振りしたり飲み込み続けたりすると
次第にストレスが溜まっていって体調を崩しちゃったり、もしくは穏やかに楽しそうに生活してる人を見下したり嫉妬しちゃったりします。
もとは波長を上げるためのポジティブ思考なのに、これだとちょっとナンセンスです。
さらにここで「何でそこまでして波長を上げたいの?」ということを突き詰めていくと、実は意識の奥深くに浮かばれてない思いがある場合も…。
極端に光を追い求めるのは、内側の闇から目を逸らすためだったりします。
だからと言って、ネガティブにどっぷり浸っていると心身の状態やエネルギー的に良くないのは言うまでもありません。
こんな時不思議なもので「ポジティブになれなくてもまぁ良いか~」と開き直ることで波長が上がることがあります。
西洋でも東洋でも本当に昔から、この『中間くらい』って考えが出てるんですよね。
例えば西洋では、哲学の分野でアリストテレスが『中庸』を説き、旧約聖書では『箴言』や『伝承者の書』にそれが大事だと出てきます。
そこから派生した西洋医学には、人間の心身には状態を一定に保とうとする『恒常性(ホメオスタシス)』があると考えられています。
東洋ですと、儒教で『中庸の徳』を説き、仏教では『中道』を説いています。
また、東洋医学の『陰陽論』では太陰太極図というものを用いて
「陽極まれば陰となる、陰極まれば陽となる」と説いていますし、大きい陰の中にも小さい陽があり、大きい陽の中にも小さい陰があることを表しています。
自律神経や脳波も『中庸』を理想的だとしていますし、心理学でも『如何に曖昧を許容出来るかが大事』と謳っています。
ではここまでを踏まえて、次回は『中庸を目指すことによってどんなメリットがあるのか?』ということをお話していきたいと思います。
それではまた後ほど~(^^)/