こんにちはー、ヒーラーの大澤です。
前回は
【スピリチュアル的には『罪を憎んで人を憎まず』という姿勢が大事】
【「自分は愛されてる」「自分は大事にされてる」って思いが根底にある方は意地悪しない】
というお話でしたね。
さてさて、こういうお話が出てくると次のように思われる方もいらっしゃるのではないでしょうか?
「理屈は分かりますけど…現実はそうはいかないです」
そうですね、現実はそうはいかないかもしれませんね。
「ヒーラーとして活動されてる大澤さんは出来てるんですか?」
僕も、いつでもどこでもそんな風に思えてるわけじゃありませんよ?神様じゃないんだから。笑
「私には出来ません。相手が憎くて仕方ないです。私は本当にダメな人間…。」
別に思っても良いんじゃないですか?ダメですかね?否定したらもっと膨らみますよ?
スピリチュアル系のブログや書籍などでは往々にして
「人を恨んだらカルマで自分に返ってきますよ」
「感謝しましょう。愛を送りましょう」
など、した方が良いことがツラツラと書かれます。
確かにスピリチュアル的にはそういう側面もあります。
でもそれは、その人がスピリチュアル的な側面をただただ言ってるだけ。
その人たちって別に心の専門家じゃないし、心理カウンセリングをしてるわけでもないんですよね。(僕も違うけど。笑)
今までスポーツあんまりやってきてない人がオリンピックでいきなり金メダルとれます?
無理でしょ?
いきなりオリンピックの金メダル候補の方と同じ負荷かけられて、モチベーション上がります?
上がらないですよ。
心も体もぶっ壊すだけです。
だから僕はこう言いたい。
愛せた方が良いね。
感謝できた方が良いね。
幸せを祈れた方が良いね。
でも
恨んでも良いんじゃない?
憎んでも良いんじゃない?
ネガティブになっても良いんじゃない?
何を思うかはあなたの自由なんだから。
これは以前の僕がそうだったんですが
カルマが返ってくることを恐れて理想に生きようとしたり、我慢して自分の心の底にある思いを殺して理想に生きても、身体や心を壊すだけなんですよね。
しかも
「我慢して理想通りに生きて、魂だけの存在になったあと、この世に未練を残さないか?」って言ったらそんなことないんですよね。
だから
今出来ることを淡々と粛々とやっていけばいいんじゃないですかね。
それではまた後ほど~(^^)/