こんにちはー、ヒーラーの大澤です。
前回は【第4番目のエネルギーの発電所の稼働率を調整してくれるのは葉物野菜】【葉物野菜は、心や心臓にとてもいい影響を与えるということが科学的に明らかになってる】ということをお話しましたね。(参照:あなたは許され愛されてます。…え、実感出来ない?では、葉物野菜を食べましょう!)
【愛】や【許し】って説明がちょっと難しくて、最近の記事もなんだかフワッとしてた気がします。なので、これから何回かにかけて【愛する】【認める】【許す】を掘り下げていこうと思います。
今日は『自分自身への愛』についてです。では、以前の僕を具体例に出してお話していきますね。
これまでにも恐らく何度か書いてきてはいますが、復習も兼ねて楽しんでいただければ幸いです。
さて
僕はある日、自分自身に向かってヒーリングをしまくってる時、ふと気付きました。(気付きとは:ある時いきなり「ああ!これか!」って納得しちゃったり閃いちゃう時ありません?)
自分の奥底に「自分のアイデンティティ(人格)を表現したら受け入れてもらえなかった」とか「失敗したら笑われたorガッカリされたor怒られた」という念が色濃く残っていたことに。
そしてさらに気付いたのは「『自分を愛してくれる人は必ずいる』『自分は愛されて当然の人間』という軸があれば、誰かに自分のアイデンティティ(人格)を否定されたとしても、自分を表現出来るのでは?」ってこと。
さらにさらに、「『失敗しても私は愛されて当然』って思いが根底にあれば、失敗しても笑われてもガッカリされても怒られても、ケロっとしていられるんじゃないか?いやむしろ、そういう仕打ちをした人に「そういう態度を取られると傷付くからやめてほしい」ということ胸を張って言うことも出来るのでは?」と気付いたんですね。
これが分かってからは、ちょっとずつちょっとずつ自分の思い込みを取り払うように、表現して行くようにしました。
最初はメチャメチャ怖かったけど、理解してくれそうな人からちょっとずつ表現していって、そうしていく内に自信や勇気も少しづつついてきたんでです。
そしたら表現も自然と出来るようになりました。(参照:僕が感情を表現出来なかった要素はこれ〜現在編〜)
自分自身を客観視して分析して、自分自身をあなたの「大切な誰か」と同じように扱ってくことが自分自身への愛なんです。(参照;ついつい尽くしすぎてしまうアナタ、それって誰の為ですか?)
だから愛って情熱じゃないんです。冷静なんです。頭の中クールじゃないと実践できないんです。
冷静に客観視出来たら「もうそんなに頑張らなくていいよ」って労わることも堂々と出来るし、「乗り越えて逞しくなってほしいな」と、自分を鼓舞することも出来ます。(参照:今目の前に自分と同じ境遇の人が居たら、何て言ってあげますか?)
次回は「愛される」ってことについて書いていきますね♪
ではまた後ほど(^^)/