「自分を愛せない人間が、人を愛せるわけない」
ちょっと歯の浮くようなセリフだが
人生で一度はどこかで聞いたことがあるだろう。
そしてこの言葉は見事に
真理をついた言葉だなと思う。
正直、少し前までの私だったら
「いやいや、そんなことないでしょ。
自己犠牲を孕んでも、愛せる人はいる。
親なんてその代表格ではないか。」
と思っていたが
ここ最近、エゴの勉強を改めてする中で
「なるほど、的を射ている」と
気づきがあったのだ。
我々日本人は「愛する」という言葉に
なんとなく馴染みが薄いように思う。
それはこの言葉や思想が元々は
キリスト教圏のものだからだろう。
ましてやスピリチュアル系に多いが
「自分を愛してあげて!」なんて
声高に言おうものなら
「うわぁ、ナルシストかよ…」
と冷めた目で見られたりもするだろう。
ならばもう少し、我々日本人にも
想像しやすい言葉をチョイスしたい。
それは「許す」だ。
冒頭の文章の「愛」を「許す」に置き換えると
「自分を許せない人が、他人を許せるわけない」
と言う表現になる。
あなたは誰かに対して
「なんでもっとこう出来ないの?」
と、怒りを露わにすることはないだろうか?
そうして後になって
「どうしてあんなこと言ってしまったんだろう」
と後悔することはないだろうか?
親だったら子どもに対してあるかもしれない。
私は自身の子どもに対して「約束を守りなさい」と
よく怒っては後になって自分責めをしていた。
でも「これは親に言われてきたことだ」と
後々になって気づく。
我々人間はすべからく実親なり育ての親なり
誰かに育ててもらって成長してきた。
生まれたままの姿、つまり
裸の赤ん坊のままでは生きていけないからだ。
それらの過程で親なり身近な人の
「言葉」「生活習慣」「癖」「ルール」
「〜ねばならない」「〜すべき」などを
我々人間は身につけていく。
この社会で生きていくために。
親に気に入られるために。
これがエゴだ。
エゴは「あなた自身」ではない。
そしてエゴとは「これまでの記憶」だ。
自分の中にないものは外にも現れない。
あなたは自分責めをしてしまう時
もしくは、誰かの言動に怒りを覚える時
それは「親の期待に応えられなかった自分」
を責めているのかも知れない。
もしくは親に責められた時の言葉を
そのまま鵜呑みにしているのかも知れない。
我々人間は完璧ではない。
ましてや風の時代だ。
何がどうなるかなんて分からん。
一度決めたことを守れない時もあるだろう。
大事な用事を忘れてしまう時もあるだろう。
無鉄砲に飛び込んで後悔する時もあるだろう。
大きな期待に耐えられなくなって
逃げ出してしまう時もあるだろう。
自分のルールを他人に
強要してしまう時もあるだろう。
他者の評価や反応に臆病になる時もあるだろう。
良かれと思ってやったことが
却って迷惑をかけてしまう時さえあるだろう。
わざと他人を陥れるのは良くない。
しかし、意地悪をしてしまう人
というのは愛情不足の人でもある。
親の期待に応えられなかった自分を
どうか許してあげてほしい。
そして自分に大好きだよ、許すよと
声に出して言ってあげてほしい。
あなたの内側が変われば
外側の景色は見事に変わっていく。