こんにちはー、ヒーラーの大澤です。

ひえー!なかなか更新できなくてごめんなさい!最近とてもバタバタでございます^^;

前回は

「動きたい時はどんな無茶苦茶な理由をつけても動くし、動きたくない時はどんな無茶苦茶な理由をつけても動かないもんです」

というお話でしたね。

スピリチュアルでよく出てくる【自由意志】とは『選択と解釈は自由』ってこと

さて、今回は【責任主体】についてお話していこうと思いますが、この言葉からどんな印象を受けますか?

「なんだか責められてる気分…」
「物凄く冷たい考え方だよね。」
「大人ならそう生きるべきだ!」
etc…

人によって様々な解釈がされると思います。

スピリチュアルではこの言葉、前回ご紹介した【自由意志】とセットで出てくることが多く、時にコインの表裏ように扱われます。

つまり、物自体は同じなんだけど、それを別の視点から見てるってことになります。

どちらが表でどちらが裏ってこともないんですが、強いて言えば『自由意志=表』であれば『責任主体=裏』という感じでしょうか。

【自由意志】の『選択や解釈はあなた次第』、その裏の解釈である【責任主体】とは『全ての出来事や意見は参考にしかすぎない』ということです。

親やパートナーがなんと言おうと

尊敬する恩師がなんと考えてようと

世間がそれをどう扱っていようと

過去にそれがどういう結果であったろうと

あなたの目の前にある全ての意見や考え、出来事は参考にしか過ぎません。

思ってないような結果になった時にお金やモノで解決できればまだ良いですが、時間は誰一人として巻き戻すことは出来ません。

究極的に言えば、何を善として何を悪とするか、そしてその匙加減がどれくらいなのかも最後に決めるのはあなたです。

…とまぁ、ここまでは理屈的な話ですね。笑

実際には「0か100か」「白か黒か」なんて言えない問題の方が多いし、すぐに決断や行動出来ない問題も山ほどあります。

した方が良いことは山ほどあるけど、しなくちゃいけないことはほとんどない。

もし今あなたが選択や責任という言葉に重みを感じてストレスになっているのなら、まずは「今しなくてはいけないこと」と「今したいこと」を目の前に出してみてはいかがでしょうか?

「遊びに行けないけど、本当は行きたいって思ってるんだな」
「こんなところじゃ泣けないけど、きっと今、本当は悔しくて泣きたいんだな」
ってね。

「本当の自分はどういう風に思っているんだろう」って知ることはとても大事ですし、葛藤や曖昧さを許容出来る余裕は絶対に必要です。

ちょっと開き直るくらいがちょうど良い時だってあります。

ツラい、寂しい、悲しい、悔しい、むかつく…全部認めちゃえばいいんですよ。

その中でどうしてもその状況に耐えられなければ、その時は歯食いしばってその状況を変える選択と行動をすれば良いんです。

むむ…

責任というと何だか堅苦しいですが

ご飯を食べた後トイレに行きたくなったり、運動した後に息が上がるのと一緒です。

原因があって結果がある、いわゆる【因果応報】ってやつですね。

この自由意志と責任主体、僕個人はかなり好きな考え方なんです。

人生があらかじめ決められているとしたら、それがどんなに幸せな道であったしても魅力は全く感じませんし、むしろ絶望です。

逆に、たとえ困難や叶わないことばかりの人生であっても、自分の解釈と意志と責任を与えられた人生は最高に面白いと思ってます。

それではまた後ほど~(^^)/