こんにちはー、ヒーラーの大澤です。
ここ数日はちょっと重めの内容になっておりますが、大丈夫でしょうか?もうしばらくお付き合いいただけたら幸いです。
前回は【スピリチュアルでは臓器移植は否定的。ただ、それはセオリー。最終的には各人の正義に基づいた決断を】というお話をしましたね。(参照:スピリチュアルやヒーリングの視点から見る、先天的な病気とその向き合い方【対処編】)
今回は安楽死と尊厳死についてお話していきたいと思います。
「え?尊厳死って何?」もしくは「尊厳死って安楽死の事でしょ?」という方がいるかもしれませんが、このふたつ、全くの別物です。
とはいえ、正直これについては線引きが難しい部分があり、専門的な話になるとケースによって呼び方が細分化されていくので、今日の一般的なお話を出来るだけ簡単にしていこうと思います。
まず安楽死というのは、末期で直る見込みがない患者さんが「痛みやツラさを感じずに死を迎えたい」と希望した時に、お医者さんがお薬などで最期を迎えさせてあげること。
一方、尊厳死というのは、延命措置をするかしないかという状況になった際に「人工呼吸器や点滴をせずに自然な形で死を迎えさせる」といったことを言います。(もちろん、どちらを選ぶかは、元気な頃の患者さんの意志を尊重します)
では、この安楽死と尊厳死、スピリチュアル的にはどう見ているかというと、【安楽死⇒否定的】であり【尊厳死に関しては『問題はない』】という感じです。
「ん?『問題はない』って何よ?」となるかもしれませんね。簡単にいうと【必ずしも延命措置をしなくてはいけないって事ではないですよ】ってことです。(…簡単になってないかも笑)
はい、ではちょっと短めですけど、キリが悪くなるので今日はここらへんで終わりにしておきたいと思います。次回は「何でそういう結論になってるのか」をお話していこうと思ます。(あ、でも感の鋭い方であれば、きっともう分かってますよね?笑)
ではまた明日(^^)/