お盆ですねー。会社勤めの方は長期連休ですね!家族や友人、恋人と有意義な時間を過ごせましたでしょうか?
こんにちは、ヒーラーの大澤です。
今日はスピリチュアルな観点から恋と愛の違いをご紹介していこうと思います!多分、読んでいくと「いやいや、こんなの無理でしょうよ」って声も出てくると思います。が、まぁ、あくまで今回お話する内容は理想ですから軽い気持ちで読んでみてください♪
恋と愛の違い
さてさて、スピリチュアルな分野では恋と愛には明確的な違いがあります。
恋=感情で動く、自分本意。
愛=理性で動く、相手本意。
ということが言われています。
あ、ちょっと話は逸れますが自分本意で利己的なものを小我。相手本意で利他愛的なものを大我と言ったりします。
具体的には?
少し突っ込んで見ていきましょう。
漢字を見てもらうとわかりますが下に心が付くので恋は下心。自分の欲の為ですね。
例えば「少しはこっちの気持ちも分かってよ」とか「私はこれだけアナタに尽くしてるのに!」というもの。相手の気持ちよりも自分の欲求を満たして欲しいという思いが強く、見返りを求めるのが恋でございます。だから『相手に飽きられない為の駆け引きは…』とか『狙った相手の堕とし方は…』っていう打算的なものは全て恋ですね。
それに対して
真ん中に心で真心が愛。相手(他者)が幸せかどうか?が全ての言動の判断基準になので、【傷付けられた】【頭にきた】【裏切られた】という概念はありません。また見返りを求めるということもありません。恋の駆け引きとは言うけど、愛の駆け引きとは言わないでしょ?それは、愛が基本与えっぱなしで相手本位だからです。【右の頬を打たれたら左の頬も差し出しなさい】ってやつですね。『レ・ミゼラブル』の中に出てくるミリエル司教がこれを実践してますね。
愛の誤認
僕は普段あまりテレビを見ないんですが、ふと見ると「奥様に普段、愛してるって言ってますか?」ってインタビューしてる番組がたまーにありますね。堂々と「言ってますよ」って方もいれば、照れてる旦那さんも居たりして…とっても微笑ましい画です。
ただ、夢を壊すようですが、スピリチュアルな視点で見ると「愛してる」って言ってる人の大半は愛じゃありません。あ、別にそれは浮気してるとかしてないとかの話じゃなくてね。
愛ってのは前述したとおり【裏切られた】【傷付いた】【頭にきた】って概念がありません。見返りも求めません。基本与えっぱなしです。これが愛の究極の理想形です。
奥様(もしくは旦那様)が毎日家事をせず夜中まで遊び回ってたらイライラしませんか?旦那様(もしくは奥様)が望んだら望んだ分だけいくらでもお小遣いあげられますか?どんな時でも相手の幸せを願えますか??大半の方は無理だと思います。僕も無理です…笑
男女間だけに非ず
愛というと一般的には男女の恋愛をよく引き合いに出されますが、でも本質的には誰かを思う気持ちを【愛】としていますね。
だから海外の映画とかを見てると父親が息子に「I Love You」って普通に言ってるし、友達に「その帽子イイネ!」って言う時は「I Love Your Hat!」なんて言ったりもします。
ホラホラ、日本の言葉でも家族愛とかよく聞きません?細かく分けると親子愛、兄弟愛、姉妹愛って言いますよね。師弟関係では師弟愛。友人(友情)や身内に対するものは友愛・世界の人々に対しては博愛・慈愛とかね。そうそう、自分への愛や自尊心を自己愛なんてのも言いますよね。
愛≠都合のいい女
よく勘違いされがちですが、愛ってのは何も相手にとって都合の良い存在って意味じゃないんです。「え?さっき与えっぱなしって言ったじゃん?矛盾してない??」って思われるかもしれませんね。
どれだけ相手に尽くしてるか、どれだけ優しいかが愛の判断基準じゃないんです。根底に【相手の幸せの為に】っていう動機があるか無いかで判断すべきです。
つまり相手の望むことを何でも叶えてあげてても、そこに欲得や打算があったら愛じゃないんですね。「これだけしたら好きになってくれるかな?」とか「嫌われたくないから」って考えながら優しくしたり尽くすのは、誰の為ですか?自分の為ですよね?
あなたはその人の奴隷じゃないし、その人はあなたの奴隷じゃありません。あなたはあなたの、その人にはその人の人生があります。お互いが依存し合って甘え合ったら必ずいつか歪みが生まれます。
あとは、少し厳しい言い方ですが、そういう風に尽くしてしまうのは「ああ、彼にこんなに尽す私…何て健気なんだろ!」って自分に酔ってるだけのパターンもあります。「こんなに尽くしてるのに報われない私、ああ、なんて可哀そうな私」っていう自己憐憫もそう。
「彼は私がいないと本当何も出来ないんだから→あ、それって私には甘えて頼ってくれてるんだ→え、私、めっちゃ愛されてるじゃん!」ってなっちゃう。だから相手が自律した人だと全然惹かれない。そんな恋愛では自分の存在価値が無くなると勘違いしてるから。
またある時には、自分の存在価値を見出せないからって自律出来てた人をもドンドンとダメにしちゃう。そんなことしなくたってあなたには充分存在価値はあるのにね。
わかりますか?これ、ダメンズから抜けられない・ダメンズ好き・ダメンズメーカーと言われる方の多くが陥りがちな思考です。
100%の愛
本当に相手の幸せについて考えると「今回は突き放そうかな」とか「私はこの事には口出ししない方が良いな、相手に経験させよう」ってタイミングかが絶対出てきます。逆に「たとえ嫌われても相手の今後のことを思ったら、ここは心を鬼にして言わなくちゃ!」ってこともあります。
自分は何と思われても良いから相手の幸せの為にって。今はツラいかもしれないけど、必ず相手の幸せに繋がるからって。まさに【ライオンがわが子を崖から突き落とす】とか【可愛い子には旅をさせろ】ってヤツですね。
さて、ここまでご説明してきたものを常日頃どんな時でも思えるのが、100%の混じりっけの無い愛です。スピリチュアルな分野ではこの100%混じりっけの無い愛を注げるのは神様だけと言われています。だから神様は心を鬼にしてアナタに試練を与えると言われています。誰よりもあなたに幸せになってほしいから。(厳密に言うと試練を与える役割は守護霊や指導霊)
ちなみにこの神の愛に最も近いのが、母の愛と言われています。それについて世界ではこんな言葉もあります。
神はすべての場所にいるわけにはいかない。ゆえに神は母を創られた
God could not be everywhere and therefore he made mothers.
by ユダヤのことわざ
母の愛にまさる愛なし。
母の愛は最善の愛にして、神の愛は至高の愛なり。
Über Mutterliebe keine Liebe.
Mutterliebe ist die beste Liebe, Gottesliebe ist die höchste Liebe.
by ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ
生前インドのスラムで奉仕をしていたマザーテレサも「私たちがどんなにその人を愛そうとも、その人の親の愛には勝てない」というような名言があったと思います。それぐらい母の愛というのは偉大で素晴らしいのです。
ちなみに
上の方で恋と愛って分けて言いましたが、宗教的に見ると男女間のそれも博愛的なものも全てひっくるめて愛と呼んでるようですね。
例えば西洋的なものは愛を段階に分けていますね。エロス(性愛、情愛)→フィリア(博愛、隣人愛)→アガペー(神の愛、無償の愛)ってな具合に。思う対象がだんだん増えて、見返りもだんだん求めなくなるイメージですね。
東洋的な愛は、うーんとコマゴマとあるんですが、でもまぁ大雑把に言うと渇愛(見返りを求める愛)か慈悲(見返りの無い憐み、仏の衆生への慈しみ)かの二極化されます。
おまけ
今回は恋と愛についての理屈編でした。じゃあ実際のところどうなのよ?ってのを次回、恋愛と結婚の違いについても交えつつお話していきたいと思います!
それでは後ほど~(^^)/