先日ブログでお話しした近所のお父さんからスナップえんどうとグリーンピースを頂きました!
やったー!これで何を作ろうかなぁ…。
こんにちは、ヒーラーの大澤です。
新年度からもう1ヶ月半経ち、色々な人との仲も深まってきて「あれ?この人こんな一面あるんだ」とか「実はいい人じゃん!」みたいな事が明らかになってきた頃ではないでしょうか?
そこで今日は人との付き合い方に関して、お話していこうかと思います!
腹六分の距離感
ある程度仲良くなってくると「今度ご飯行こうよ!」とか「仕事終わりに飲み行かない?」って誘いを受けると思います。
気の置けない仲間同士ならまだしも仕事仲間、嫁姑問題、ママ友、色々気を遣う場面も増えて、ここだけの話ちょっと煩わしいなって思う時もありませんか?笑
そんな時に頭の隅に置いておくと良いのは人付き合いは腹六分という言葉です。「え?腹八分じゃないの??」って思われる方もいらっしゃると思いますが腹八分では多すぎです。腹六分くらいが丁度良いです。
具体的には?
最近あんまり聞かなくなりましたけど【水臭い】って言葉ありますよね?辞書で意味を調べてみると「食べ物や飲み物の水分が非常に多く水のように味気ない、サッパリしている」ってことなんだそうです。
この【水臭い】くらいが丁度いいです。今でいうと【ドライ】っていう表現が良いんでしょうか?
恋人や夫婦だってそうじゃないですか?最初はあんなに「スキスキー!」って感じだったのに、段々落ち着いてきてその内「イラッ」とするところが出てくる。
友人同士、志が一致して事業を始めたけどそりが合わなくて今ではいがみ合ってるなんて話もよく聞く話ですよね。
腹六分の付き合い方をしてると寂しいなぁって思うことも出てくるとは思いますが、余計な介入をされなくて済むし何より一人の時間を充実させることも出来ます。
まさに以前ブログで書いた正負の法則ですね。(参照:ピンチがチャンスに見えてくる。一喜一憂しない考え方『正負の法則』)本当に親しい人は数人いれば充分です。
親しき仲にも礼儀あり
どんなに仲良くなっても言っちゃいけない言葉ってあると思うんですよね。「おめえさん、それを言っちゃおしめーよ!」ってヤツです。
勿論、仲が良いからこそ、相手のことを思うからこそ言うって時もあると思うんです。それに関してはとっても素敵なことです。根底に相手に幸せになってほしいという愛があるわけですから。
でもそうじゃない場合は大概が自分本位なエゴです。誰にだってコンプレックスや踏み込まれたくない世界のひとつやふたつあるものです。
相手のテリトリーも大事にする。それが人間関係を円滑にするポイントではないかなと思います。
誰のためのお世話ですか?
時と場合によりますがどんな素晴らしい格言や的を得ている言葉でも、相手に受け入れ態勢が整ってないと全然響きません。
響かないだけならまだしも「きー!あんたに何が分かるのよ!」と反感を買ってしまったり、お節介になってしまう場合もあります。(参照:何故あの人の言葉は響かないのか?をスピリチュアル的に解説します。【前編】)
どんなに理屈で分かってても、やっぱり経験してみないと心根に座らないというか、落っこちてこないんですよね、自分の中に。
だから敢えて口を出さず経験させる。相手から助けを求められるまでは見守る。本当にヤバいと思った時には手を差し伸べる。というスタンスも大切だと思います。
子どもが転んだ時に毎回手を差し伸べることが必ずしもその子のためになるか?と言ったらそうではないですよね?(参照:果汁100%の愛、果汁20%の愛。どちらも【愛】が含まれてることに変わりはない。)
それに人の人生は十人十色。あなたにとって良かったことが相手にとっても良いとは限りませんからね。(参照:世の中には色々な考えの方がいるし、愛や正義のカタチはひとつではない。)
言葉ではなく行動を見る
人間クチでは何とでも言えるものです。顔色一つ変えずにウソつく人もいれば、屁理屈並べて打算的に持っていく人もいます。
「相手の心理が読めないなぁ」とか「この人はどういう人なんだろう」って時はその人の行動を見てみて下さい。
行動は潜在意識から出るものですからどんなに取り繕ってもいつか必ずボロが出ます。
たまにいません?『口は悪いけど、腹は悪くない』って人。表面だけではその人となりはわからないってこともあります。
あとはその人の友人を見てみるのも良いかもしれません。類は友を呼ぶ(波長の法則)というものが働きますから
その人の人付き合いなど見ればその人がどんな人か分かります。(波長の法則についてはまた後日書きますね。)
→記事UPしました。参照:【類は友を呼ぶ】は心理学的にも言われている!スピリチュアルでは『波長の法則』と呼びます。
魂の年齢の見分け方
あとあと、こういう経験ありません?「上司なのに精神年齢が…」とか「子どもなのに悟ってるなぁ!」とか
それは実年齢からはわからない魂の年齢というものが関係あります。
スピリチュアルの視点では肉の年齢と魂の年齢というものがあるんですねー。
肉の年齢ってのは『この世に生を受けからの歳(実年齢)』のことですね。対して魂の年齢ってのは『その人がどれだけ古い魂か』を表します。【魂の年齢が高い(古い魂)】=【生まれ変わってる回数が多い】=【様々な経験をしている】=【霊格(人格の魂ver.)が高い】訳です。
これまでの生まれ変わってきたデータは記憶になくても、魂に蓄積されてますから魂の年齢が高い人は、他人の気持ちが理解出来たり、達観して世の中を見れたりします。
この魂の年齢は実年齢とは関係なくて、親より子供の方が魂の年齢が上ということも往々にしてあります。
だから何が言いたいかというとあまりにも理不尽で横暴なご年配の方や上司の言葉を必ずしも間に受けなくてもいいということです。ご自身が言われて耳が痛いとかよっぽど言い返せないくらい心当たりがあるなら別ですよ?笑
逆に『子供も一人の人格者として見てみる』という視点も大事になってきます。
勿論、魂の年齢云々言ったって、この世にはこの世のルールってもんがありますから、目上の人を敬うのは大事です。自分より年齢が下の人たちを可愛がり教育していくことも大事です。
でも必要以上に実年齢や地位や役職に左右される必要は無くて「あー、この人の魂はまだ幼いんだなぁ。まだまだ経験することがあるんだなぁ」と思えば良いと思います。誤解がありそうなので書いておきますが決して見下して良いということではありません。(参照:スピリチュアルでは、生命が生まれてくる理由をこんな風に謳ってます。【後編】)
誰しもそれぞれ目的があってそれぞれの役割があって、この世に生を受けているわけです。(参照:子どもは自分の意志で、親を、そして環境を選んで生まれてくる。)魂が古いか若いか、経験が豊富か浅いか、ただそれだけの違いです。どっちが偉いとかではないです。
『実るほど頭を垂れる稲穂かな』という言葉もあります。
まとめ
・人間関係は腹六分。ドライくらいが丁度良い。
・毎回手を差し伸べることが優しさとは限らない。
・言葉ではなく、行動を見るとその人の本性が見えてくる
・肉体の年齢=魂の年齢ではない。
おまけ
最近ジョギングをしてもすぐにバテてしまいます。暑いからでしょうか?単純に気合が足りないだけ?笑
いつか市区町村のマラソン大会に出たいなぁと思ってるんですが、果たして何年先になることやら…ハハハ